数理モデルによる環境中の化学物質の動態と曝露の評価

吉田喜久雄
三菱化学安全科学研究所(横浜国立大学 環境科学研究センター)

1.はじめに

 現在,様々な化学物質が製造され,我々の生活を支える素材として広く身の周りで使用されている。元来,これらの化学物質の多くは自然環境中には存在しない人為的に合成された物質であり,物質の製造,使用,処理等の過程で意図的あるいは非意図的に環境中に放出される。環境中に放出された化学物質は大気中や河川水中で希釈され,それらの流れに従って輸送され,さらにこの輸送過程の間に酸化,光分解,加水分解等の化学的な反応や環境中の微生物による分解を受けるとともに,大気,表層水,土壌等の環境媒体間を移動し分配される。人とその他の生物は環境中の物質の輸送,分解及び移動の過程で,物質の曝露を受け,生体内に取り込まれた物質が標的となる臓器や器官に到達して初めて,化学物質による悪影響を被る可能性が生じる。したがって,環境放出物質の人及び環境生物に対するリスクアセスメントでは,実験動物を用いた毒性試験での投与量や曝露濃度に比べてはるかに低い実際の曝露量や曝露濃度での悪影響の発現確率,即ちリスクを評価する必要がある。

2.数理モデル

 従来,化学物質の環境中濃度や人体曝露量の推定は分析化学的手法に依存していた。最近の分析機器の進歩に伴い,より低レベルの測定が可能であり有効な推定手法ではあるが,既に数多くの物質が世の中に存在し,さらに毎年新たな物質が開発されている状況下,各々の物質について極微量レベルの分析法を開発し,各種環境媒体さらには飲料水,食物中の濃度を測定することは容易ではない。このような分析的手法の欠点を補い,迅速に化学物質の環境中濃度や人体曝露量を評価するために1970年後半から各種の数理モデル(環境動態・曝露モデル)が開発され,使用されるようになってきた。モデルの利点はで環境・気象条件により時間的,空間的に変動する化学物質の環境動態を素早く評価できる点にある。特に,パソコンの能力が飛躍的に向上した90年代には一般のユーザーによるモデルの使用が容易になった。さらに,環境中における化学物質の動態を支配するプロセス及びそれらのプロセスの記述に必要なパラメータに関する研究もさかんに行われ,研究成果をモデルに組み込むことによるモデル評価の信頼性が向上したことも,数理モデルの使用をリスクアセスメントに取り入れる大きな要因であろう。
 図1に示すように,環境動態・曝露モデルは一般にデータ入力,計算及び結果出力の3つのモジュールで構成される。データ入力モジュールは化学物質の環境中における物質収支を計算する際に必要な化学物質特性,環境・気象条件及び環境への化学物質の放出速度に関するデータの入力を取り扱う。計算モジュールでは,入力データに基づいて組み立てられた物質収支式を解き,環境中濃度等を計算する。物質収支式は一般に下記の式で表わされる。

Equation 1

Figure 1

図1 環境動態・曝露モデルの構成

ここで,上式の左辺は環境媒体i中の化学物質の量(Mi)の時間変化を示し,右辺の第1項は媒体iへの放出速度,第2項は隣接する全ての環境媒体への物質の移動流出速度,第3項は媒体中での分解による消失速度,そして,第4項は隣接する全ての媒体からの移動流入速度を表わす。出力モジュールは環境媒体中の濃度,経路毎の人体曝露量等の各種計算結果をディスプレー,プリンター,ディスク等に出力する。
 モデルは上記の式に基づいて,環境・気象条件及び環境放出速度の時間及び空間変動に対応して,様々な状況下での化学物質の環境動態に関するを提供できる。しかし,生涯あるいは30年間というような長期間曝露を前提としている人の発ガンリスクの評価と,寿命の短い環境生物に対するリスクの評価では,曝露量あるいは曝露濃度の時間的解像度を変える必要がある。また,環境への物質の放出源が1つしかない点源の場合と,放出源が多数存在し面源と見なし得る場合では,空間的な濃度分布の解像度は異なってくる。このような様々な状況を想定したリスクアセスメントが必要なため,各種のモデルが開発されている1)。さらにいくつかのモデルについては濃度・曝露量の評価能力の検証も既に実施されている。図2にその1例を示す。

Figure 2

 一般に,数多くある化学物質の中から詳細なリスクアセスメントが必要な優先物質を選択することに主眼が置かれるスクリーニングレベルのリスクアセスメントでは,アセスメント実施者の負担を減らし,同一環境・気象条件下での評価を行うため,環境・気象パラメータに平均値を使用し,定常状態を仮定するモデルが使用される。一方,より高次のリスクアセスメントでは,地域に特異的な環境・気象データを使用し,非定常条件下での詳細な環境動態と曝露の推定を行う。そして,算出された環境媒体中濃度から我々人間が摂取する飲料水,魚介類,穀物/野菜/果物類,肉類,乳製品類中の化学物質濃度を各種パラメータから推定し,大気吸入曝露量及び経皮曝露量を加えて全人体曝露量を算出する。通常はこの外部曝露量をもとに悪影響の発現確率を推定するが,最近では体内に取り込まれた化学物質が実際にガンを発現する臓器や器官にどのように到達し,それらの器官での濃度を推定する内部曝露評価のために,生理学的な薬物動態モデル(PBPKモデル)の適用も研究されている。このモデルでは,人体を機能的に類似性のあるいくつかの組織に分け,動脈血流により輸送されて来た化学物質が組織で分配され,未分配の物質のみ静脈血流により循環するとし,代謝組織(肝臓)において化学物質は代謝を受けるとして物質収支式を組み立てる。PBPKモデルも環境動態・曝露モデルと同じように“組織”と称する均質なコンパートメントを想定する点では同じであり,将来はリスクアセスメントに必須の数理モデルの1つとなるであろう。このようにリスクアセスメントに使用可能な数理モデルは多種多様である。どのモデルを使用すべきかの判断はリスクアセスメントを実施する者に委ねられることになるため,ある程度の知識と経験が必要となる。
また,オランダのUSES1.0(Uniform System for Evaluation of Substances version 1.0)3)のように,現状で利用可能ないくつものモデルを組み込んで様々な状況下での環境動態・曝露評価に対応できる総合リスク評価システムも開発されている。このUSES1.0は欧州連合の共通リスクアセスメントシステムとするための改良が現在行われており,Windows95対応のソフトウェアとなる予定である。また,米国のRisk*Assistant4)のように大気拡散モデルやユーザーが曝露源や経路を選択できクロスメディアアプローチが可能なリスク評価システムも市販されている。また,いくつかのモデルはInternet上で公開されており,入手可能である。

3.モデルパラメータの推定

上記のように環境動態・曝露モデルは,既に多くのモデルが開発されているが,モデルを稼動させるためには各種のデータが必要となる。しかしながら,化学物質の特性にだけでも下記の表1に示すようなパラメータが必要である。

表1 環境動態・曝露モデルに必要な化学物質の特性データ
特性分類化学物質の特性
物理化学的性状融点(℃)
 水溶解度(g/m3)
 蒸気圧(Pa)
 オクタノール/水 分配係数
平衡定数ヘンリー則定数(Pa・m3/mol)
 有機炭素吸着定数(L/kg)
 生物濃縮倍率(L/kg)
反応速度定数OH radicalとの気相反応(cm3/molecule/sec)
 加水分解(L/mol/sec)
 水中光分解(1/day)
 微生物分解(L/cell/day)
 これらの特性データの多くはOECDや米国EPA等の試験法ガイドライン5,6)に従って測定が可能である。しかしながら,測定に要する時間や労力は化学物質の機器分析法の難易度に左右されるため,モデルパラメータ値を迅速に整備することは困難である。このため,スクリーニングレベルのリスクアセスメントにおいては,化学物質の構造や基礎物性値からモデルに必要なパラメータ値を推定するための定量的構造−活性相関(QSAR)手法もかなり検討されている。これらの手法を用いることにより,パラメータ値の補完がある程度可能である。
 QSARによる特性推定でキーとなる物性値はオクタノール/水 分配係数であり,化学物質の1-オクタノール中と水中の平衡濃度比の常用対数値(log Kow)として表わされる。このlog Kowは物質の疎水性の指標であり,下記に示すような相関式で水溶解度,有機炭素吸着定数,水生生物や植物への生物濃縮倍率等の推定に使用される。

log X = a・log Kow + b

ここで,Xは吸着定数や濃縮倍率等であり,aとbは相関式の傾きと切片である。このような相関式は既報値に基づく経験式であり,対象となった物質群以外への適用には不適当である。最近では,log Kowの推定法として知られているフラグメント定数法6)に類する推定法も,ヘンリー則定数,有機炭素吸着定数,OH radicalとの気相反応速度定数等に適用されているが,まだまだベースとなるデータが少ない状況である。
 今後,計算化学手法のよりいっそうの発展により,化学物質の環境中動態及び生体内動態評価に必要な各種の物質特性パラメータが正確にかつ容易に推算可能となることが望まれる。

参考文献

1)OECD OECD Environmental Monographs No.27, Compendium of Environmental Exposure Assessment Methods for Chemicals, 1989
2) Yoshida, K. Preliminary Exposure Assessment of Volatile Chlorinated Hydrocarbons in Japan, Chemosphere 27 (4) 621-630 (1993)
3)Jager, D.T.;Visser, C.J.M. Uniform System for the Evaluation of Substances (USES), version 1.0, RIVM, VROM, WVC (1994)
4)Hampshire Research Institute Risk*Assistant (1995)
5)OECD Guidelines for Testing of Chemicals (1982)
6)U.S.EPA Chemical Fate Testing Guidelines (1993)

よしだ きくお YOSHIDA, Kikuo
連絡先 〒227横浜市青葉区鴨志田町1000番地 (株)三菱化学安全科学研究所 横浜研究所     TEL 045-963-3541
目次へ戻る